診断士の視点

インドネシアの投資環境とインフラ整備の状況

2019.03.12 投稿和田 龍三

インドネシアの投資環境とインフラ整備の状況

1.ジャカルタ市内の大渋滞は、少しは緩和したのか - 空港鉄道の開通

 ジャカルタの日本大使館員の大きな仕事の一つに、日本の大臣が来訪したとき、会議やインドネシア要人との会談、在留邦人の陳情などの様々なスケジュールをこなして、無事空港に送り届けることであるという。
空港まで2時間というが、ジャカルタ市内の渋滞は並大抵ではなく5時間もかかってしまう場合もあり、全く先が読めない。
大臣はそんなことはお構いなしに会話しようとする。
焦りに焦りながらスケジュールどおりに空港で見送りすると汗がどっと出るという。
 2017年に開通した空港鉄道Airport Railwayが、スカルノ・ハッタ空港駅と市内中心部のスデイルマン・バル駅(BNIシティ駅)を結んでいる(スデイルマン・バル駅は20日の夕食で立ち寄ったグランド・インドネシア・モールから南へ歩いて10分程度で行ける。宿泊場所のサリ・パシフィック・ホテルからだと歩いて約20分の距離である)。
 各ターミナルから空港駅へは無料のスカイトレインでアクセスできる。
所要時間は50分であり、これまで、最低でも市内から2時間掛かっていたことを考えると大きな改善である。
但し、深夜や早朝は運行していない。
しかも、ホテルへは駅からキャリーケースを引っ張って歩いて行かないといけないとなるとまだまだ改善の余地がある。
 もう一つ、我々が訪問したイオン・モール・ジャカルタ・ガーデンシティーからバタビア湾沿いの高速ハーバー線を通ってスカルノ・ハッタ空港までアクセスできる高速道路網ができたことである。
この路線は7年前に見学したコタ(バタピア)地区の跳ね橋などを左手に見ながら、市内の渋滞箇所を迂回するため、ほぼ時間通りに空港に到着できた。

2.MRTの開通

 2013年に着工してから6年、今年3月末に首都ジャカルタにインドネシア初となる地下鉄(MRT:都市高速鉄道)が開通する。
日本料理店が多いブロックMなどがある南ジャカルタから中央ジャカルタのホテル・インドネシア前までつながる。
料金は、10キロで8,500ルピアか1万ルピアという従量制料金となる。
1駅のみは2,000ルピア(16円)程度のリーズナブルな料金だという。
第2期工事は観光地であるアンチョールまで延伸される。
3月末開通とのことであったが、地下鉄駅への出入り口はほとんどが2月現在工事中であり、本当に3月末に開業できるのか心配な面もある。
 この他、LRTが建設されている。
ジャカルタから日系企業が多数入居する工業団地が立地する西ジャワ州ブカシ市方面の建設が進んでいる。
計画では今年5月ということだが、車越しに工事の進捗状況を見る限りあと1、2年はかかりそうな雰囲気ではある。
これができれば、ジャカルタ東部の工業団地に立地する日系企業の社員も多少は市内中心部へのアクセスが良くなるかもしれない。
 ところで、ジャカルタからバンドンへの新幹線は中国資本で建設中とのことであるが、まだ、街中では工事は始まっていないようである。

3.インドネシアへの企業の進出環境

 ジェトロ・ジャカルタ所長の説明によると、外資のインドネシア進出に当たっては内資企業との合弁が義務付けられている業種がある。
いわゆるネガティブ方式である。

①製造業は現在100%独資が可能である。
セーレンは独資で進出している。
日華化学の場合は企業訪問の説明資料では、当初、日華化学が65%、三井物産が15%で進出したが、1982年に外国投資法の改正により、日本側50%、地元企業50%に変えられた。
その後、1994年に出資比率が拡大され、日華化学70%、三井物産10%にまで高められた。
2008年には三井物産分を買い取るなどして日華化学持分は90%となっている。
②農業分野は食用作物の場合は規制が厳しく外資は49%となっている。
③商業分野はさらに規制が厳しく、小売業では原則外資は認められていない。
但し、イオンのような大規模スーパーや百貨店は対象外である。
④建設業も規制が厳しく工事金額による制限がある。

 7年前にはサリ・パシフィック・ホテルの1本裏通りにセブン・イレブンがあったが、今は撤退して地元資本のコンビニに代わってしまっていた。
セブン・イレブンは2009年にインドネシアに進出したが2017年に全面撤退に追い込まれた。
日本のコンビニとの大きな違いはムスリムが多くアルコール類を売れないということもあるが、地元資本が極めて強い中での小売業の展開はかなり困難が伴うようである。
 今ではインドネシアの四輪車市場の99%を占める日系の自動車産業であるが、その進出は国内産業の保護・ローカル資本との関係でぎくしゃくとしている。
インドネシアの自動車産業は1977年から部品国産化政策を導入し,国産部品の使用を義務付けて自動車産業の育成を図った。
 エンジン、トランスミッションなどの主要部位について国産化スケジュールが義務付けられる厳しい政策である。
日本の自動車メーカーは1980年代にプレス工場、エンジン工場、ユニット工場を作るという当時の小規模な自動車販売台数からみると大胆な投資に踏み切らざるを得なかったが、その後の自動車産業の発展を結果として支えることになった。
日本の自動車メーカーだけがインドネシアの産業政策に真面目に対応し、欧米はそれについてこられなかった。
 日系自動車メーカーはインドネシアをASEANのハブとし、インドネシアからASEAN各国に完成車・部品等を輸出しようと力を入れた。
 しかしその後、インドネシア政府は自動車の国産化政策を発表し、当時のスハルト大統領の三男が経営するフトモ・マンダラ・プトラ社が韓国・起亜自動車と提携して国民車を計画したが、1998年のアジア通貨危機でスハルト政権が退陣し、結果的に国民車構想は頓挫することとなるが、その間、日本の自動車産業は厳しい国民車構想に嫌気がさしてASEANの自動車産業のハブ機能をインドネシアからタイに移行することとなる。
 スハルト政権の退陣とともに、外資への規制も緩み、日本の自動車産業は積極的にインドネシアに工場を立て国産化対応に全面的な協力をしてきた。
 2011年のタイ洪水後は、タイへの一極集中を抑え、インドネシアをASEAN第2の生産拠点とする位置づけを強めた。
セーレンの進出はこの時期に当たる。
 インドネシアはASEAN第2位のタイ(80万台:2015年)を超えて、域内最大の自動車マーケットとなり、世界規模でも大市場になると期待されている。
 率直にいえば、インドネシアは国内の小規模事業者を保護するために、技術移転につながる企業・産業の投資は歓迎するが、国内産業の成長や雇用に影響を及ぼすような企業・産業はあまり歓迎しないということであろう。

  • スカルノ・ハッタ空港内のスカイトレインの橋脚
    スカルノ・ハッタ空港内のスカイトレインの橋脚
  • 高速道路ハーバー線
    高速道路ハーバー線
  • 進む地下鉄工事の現場
    進む地下鉄工事の現場
  • 建設が進むLRTの橋脚
    建設が進むLRTの橋脚
  • いたるところ日本車ばかり
    いたるところ日本車ばかり